「下克上受験」で一世を風靡した桜井信一著の新作である「桜井さん、うちの子受かりますか?」を読みました。
筆者は娘さんと一緒に中学受験を5年9月からスタートして桜蔭を受験するまでのドキュメントを「下克上受験」として出版された方です。その赤裸々な内容と勉強は非常にインパクトのある内容です。
この「下克上受験」は本屋でタイトルを見てパラパラ見ただけで、その続編ともいえる表題の本を読んだところその無いように圧倒されて、逆にこの「下克上受験」も買って読みふけってしまいました。
さて、こちらの「桜井さん、うちの子受かりますか?」ですが、娘さんが受験を終えて1年後の他の人たちの受験相談にのっている事と自らの体験を踏まえた中身の濃いアドバイスとなっています。
中学受験については、本人の力だけではなく親力も大切であり、子供の力を信じて適切かつ適時に「家での勉強」をちゃんとさせることの重要性が説かれています。本当にこの桜井さんは、子供に100%寄り添って自分も100%コミットしている点が素晴らしいと思います。なかなか子供についてここまでのレベルで到達状況、問題点を把握している親は少ないのではないでしょうか。
いくつか印象に残った内容
ー塾に行くだけではだめで、家で定着させるためにどれだけ勉強するか
ー親が寄り添って一緒に走ってあげる
ーミスは偏差値が上がると減る
ー合格曲線 (最後に伸びる)
ー「出来ない子」は、やや高いレベルに苦労した後で低いレベルを眺めた時に出来るようになる
今一緒に学んでいる子と歩調は合わないけど、その差は実は数週遅れ
これらは私のこれまでの経験を通じても首肯出来る内容です。私自身は中学受験ではなく高校、大学受験というパターンでしたが、大学受験の手応えというのは、偏差値ではなく、試験のそれぞれの内容についてあるレベルを「クリアできたか」どうかで判断できたと思います。あるときに「ああ、これでこの科目でボーダー越えたから大丈夫」というのが自分で分かりました。中学受験の各科目についてもその「絶対的な水準」があり、それを越えたらおしまいだと思います。理科、社会はその水準が結構低く、やはり算数が難関校は相当高いところにある感じです。
「出来ない子」というのは、高いレベルを経由した後に戻ってくると出来るようになる、というのは言い換えると知識が定着するには一定の時間がかかる、分からないからそこに止まるのではなく先に進むと、あら不思議、分かるようになっている、サピのカリキュラムは早く、マンスリーの時に間に合わなくても最後の基礎トレまでの何回もの繰り返しで刷り込まれ、5年時でカリキュラムが一巡するので、相対的な競争としての順位はさておき、できるようになるか、という意味では一定のタイムラグの後、理解できるようになっているので、クラスが低い=未来永劫できない、訳ではない。また、6年時の競争は「乱取り稽古」であるので範囲のない試験でアウトプットできるかが勝負です。ただ、とはいえ、クラスが低いというのは自分より出来る人がそれだけいるという事実を厳然と受け止め、それを抜くだけの追加的な努力が必要となります。
私自身は、受験勉強や資格試験は一定のゴールがあり、そのゴールにどうやって到達するか、のゲームであり到達したらおしまい、と考えています。この「到達した」というのが「絶対的な学力」で、いいかえると試験当日に合格最低基準点を越えたと感じられる学力に対する自信です。この本にも書いてあったかと思いますが、何も1位になる必要はなく、合格定員に入れればいいので、そのためにはどこまでやればいいのかを常に子供の立ち位置と理解度を偏差値、順位だけではなく科目の理解度と達成度で見てあげる必要があるかと思います。
また、塾はあくまで最初の導入部分の知識体系を入れるところとそのカリキュラムが素晴らしいのであってそれを身につけるのは自宅での学習になるかと思います。この辺りは、司法試験や会計士、税理士の試験で予備校に行って受かる人と受からない人の差と同じ議論だと思います。要は「自分でやる時間」をどれだけとるか、だと思います。もちろん、天才的な人はいるのでその人達は聞いているだけで分かってしまい、そんな演習しなくてもできるのは確かです。しかし、この人たちと競っても無駄なので、その人達は外して考えた方が精神的には楽でしょう。
これらも踏まえ、この桜井さんの本は、鋭く本質をついた示唆に富む本だと思います。